『夜のサンタクロース』
TEXT by Toshio Suzuki
ママがサンタにキスをした。
夜中、おしっこがしたくなって階下に降りたあたしは、その現場を見てびっくりした。そしてあたし以上にびっくりしたのは、たまたまその時間に帰宅したパパだった。
「お、おまえ、俺が働いてる間に何てことを!」
「あ、あなたが悪いのよ。ゴルフだ接待だキャバクラだって、仕事にかこつけてやりたい放題! 私の寂しさなんか、これっぽっちも気づいてなかったでしょ!」
そんなパパとママを見ながらサンタさんは、まいったなあ、とでも言いたげに苦笑いを浮かべていた。
「お、おまえ、なに笑ってやがんだ!」
パパが怒りの矛先をサンタさんに変えた。
「そうよ! 部外者みたいな顔しちゃって!」
ママも尖った視線をサンタさんに向けた。
「サンタさんをいじめないで!」
あたしは生まれて初めてパパとママに怒鳴り声をあげた。ああ、これがミユちゃんの教えてくれた反抗期ってやつか……。
「とりあえず座りましょうよ」サンタさんが言った。「立ち話もアレだし。アレっつってもアレのことじゃないですよ。なんてね。あははは」
パパとママの目に、プチ殺意みたいなのが過ぎっていた。
あたしたちはリビングの床に車座になった。家族プラスワンの家族会議が始まった。
「オトナの話だから。部屋へ戻って寝てなさい」
パパにそう言われたけれど、あたしは頑として拒んだ。サンタさんに関するなら、むしろ子どもの話だと思ったからだ。
パパはサンタさんを指差してママに訊ねた。
「まずはこの男が誰なのか説明してもらおうか」
本人を目の前にしているのに、なぜママに訊ねるのだろう。
ママもママで、分かりきった答えをなぜか言いよどんでいる。
あたしはしびれを切らして口を開いた。
「サンタさんに決まってるじゃないの!」
そこでふと、数日前にパパに否定された疑問を思い出し、ふたたび投げかけてみた。
「やっぱりサンタさんなんてこの世にはいないの?」
「ば、ばか。サ、サンタさんだよ。この人は紛れもなくサンタさんだよ。ははは。いやあ、パパ、変なこと言っちゃったなあ。ははは」
パパはぎこちなく笑った。
「そ、そうよ、ただのサンタさんよ。おりこうにしてたウチの子に、サンタさんが来てくれたってだけの話でしょ。なのにあなたったら怒ったりして。やだわ。おほほほ」
ママの笑いはパパ以上にぎこちなかった。
「……調子に乗るなよ」
パパが、駄菓子屋のゲンバアみたいな恐ろしい顔でママを睨みつけた。ママの笑いが一瞬にして凍りついた。
ゲンバアはこの世で最も恐ろしい人間だ。もしかしたら人間じゃないかもしれない。クラスのみんなの間では、万引きを見つかると生きたまま食べられてしまうと噂されている。
――パパもサンタさんを食べてしまうんじゃないだろうか。
ふいに浮かんだ恐ろしい考えに、あたしの膝が震えだした。
なのにサンタさんときたら。耳をほじったり、爪の甘皮を剥いたり、冷蔵庫の中を断りもせずに物色し始めたりなんかして、勝手に取り出したソーセージをかじりながら、スマホをいじって音楽までかけはじめてる。
「♪肉抜きの肉じゃがはジャガ。なんだこのアホな歌詞? こんな曲入れたっけか?」
やっぱりサンタさんはすごい! 怯えるどころか緊張感のかけらもないなんて。
「飲み物も欲しいな。お、ビールだ。ダンナさんもビールでいいのかなあ?」
サンタさんは、能天気な声でパパに訊ねた。
パパは睨みつける視線をママにロックオンしたまま、サンタさんの問いにしぶしぶうなずいた。
「マナミさんはいつものようにワインですよね」
今度はママに向かって訊ねるサンタさん。
「マナミ? マナミだと!」突然パパが噴火したような怒鳴り声をあげた。
「あ。いや。ヤ、ヤマサキさんの奥さんはワインでよろしかったでしょうか?」さすがのサンタさんも、少ししどろもどろになった。
「そういうことを言ってるんじゃない!」パパはゲンバアそのものの表情でママに詰め寄った。「よそじゃマナミなんて名乗ってるのか! ええ? ウメコ?」
ママはパパの口を手で塞ごうと飛び掛った。ママの手を乱暴に払いのけるパパ。取っ組み合いのケンカが始まった。
「まいっちゃったなあ」
サンタさんは呆れ笑いを浮かべてあたしを見た。あたしもちょっとだけオトナのオンナを気取って、まいっちゃったね、みたいな笑みで応えた。
するとサンタさんは、あたしの前にしゃがみこみ、目線の高さを合わせてあたしを見つめた。
パパ以外のオトコの人の目がこんな至近距離にあるなんて、生まれて初めての経験だった。
「オレ、帰るわ。ママによろしくね」赤い服のポケットをまさぐるサンタさん。「それとこれ。持って帰ってもしょうがないからさ。お嬢ちゃんにあげるよ」
「クリスマスプレゼント?」
「ん? あ、まあそんなとこかな」
手渡された箱の中には、光る石がついたピアスが納められていた。あたしが持っているおもちゃの宝石なんかとはまるで違う、とても深くて、とても澄んだ光を放つ、気持ちをわしづかみにしてしまうような石だった。
「んじゃま、そういうことで」
「待って!」あたしは立ち去ろうとするサンタさんを呼び止めた。「来年のクリスマスも来てくれる?」
サンタさんは足を止め、少しだけ考えてから言った。
「お嬢ちゃん、今何歳?」
「九歳」
なぜだかあたしは、ひとつ多目にサバを読んでしまった。
「じゃあ九年後のクリスマスだな。それまでにこのピアスが似合うようになってろよ」
サンタさんは軽くウィンクをしてみせた。
あたしは、立ち去るサンタさんの背中を見つめながら、ピアスをぎゅうっと握り締めた。心臓が、壊れちゃったみたいにどきどきしていた。
(了)