『イミテーション』
TEXT by Toshio Suzuki
「本物にしか感動できないなんて、感受性が鈍い証拠よ」
娘はそう言って、熱のこもった、そしてかすかな不安とをはらんだ目で私を見つめた。
私はなんとなく気おされてしまい、テーブルの上に置いた腕時計に目を落とした。
一年ほどまえに妻からプレゼントされたロレックス。偽物だと気づいたのは娘だった。妻の四十九日の法要が終わり、ふたりでくつろいでいたところだ。娘は何気なく開いた雑誌の中に、真贋の区別ポイントを解説した記事を見つけたのだ。偽物と見抜いた娘は、まるで手柄でも立てたかのように、十六歳らしからぬ無邪気さではしゃいだ。けれど、一瞬、何かに気づいたような目をすると、表情を一変させて言ったのだった。――本物にしか感動できないなんて、感受性が鈍い証拠よ。
ブランド物になど全く興味のない人種。私は自分をそう信じきっていた。音楽だってそうだ。名のあるミュージシャンになんかに惹かれない。自分が一番好きな曲はチンピラみたいなバンドの『都会山賊シティメタルスクワッド』。ブランドとは対極にある、だれも見向きもしない世の中の汚れみたいなバンドの曲だ。そんな曲を繰り返し聴いていた私に、妻はいつも「そんな曲のどこがいいの」と、呆れたように笑っていた。
それほどまでにブランドというものに対して距離を置いていた私だった。ところが、生まれて初めてロレックスを身につけてみると、思いもよらぬ高揚感に包まれてしまった。まるで自分の格までもが上がったかのような錯覚すら覚えた。
同僚や知人の前では、さりげなく目に付くように振舞った。いや、さりげなくなんてものじゃない。多少の寒さをこらえてまで、袖をまくっていたほどだった。ひょっとしたら、彼らの中にも、偽物であることを見抜いた者がいたかもしれない。おとなげなく浮かれた私は、どんな風に見えていたことだろう……。
「お父さん。ロレックスって理由じゃないよね? お母さんから贈られた時計だから使ってたんでしょ? だったらいいじゃない。今さら本物だろうと偽物だろうと。だから、ね。使ってあげてよ」
テーブルの上に置いてあった私の携帯電話が震えた。マナーモードに切り替えてあったため、着信音は鳴らず、小刻みな振動音をたてるだけだった。振動はものわかりよくすぐに止んだ。メールの受信だったのだろう。
娘が眉を寄せて携帯電話を見つめていた。うとましげでもあるし、不安そうにも見える表情だった。おそらく送信者の見当をつけているのだろう。娘はきっと、“彼女”からのメールだと思い込んでいるに違いない。
私は携帯電話を開いた。目の前の娘は、メールの送信者が、私が二年前に分かれた前妻だと思っていただろう。だが、その予想は外れていた。相手は、前妻との間に生まれた、私と血の繋がった方の娘からだった。
「本物にしか感動できないなんて、感受性が鈍い証拠よ」
娘はそうくり返すと、熱のこもった目で私を見た。かすかな不安をもはらんだ目で。
私はなんとなく気おされてしまい、腕時計に目を落とした。だが、すぐに思いなおして顔をあげ、大きくうなずいてみせた。
「そうだね。使いつづけるよ。お父さん、ずっと使いつづけるよ」
私は少しだけ力を込めて言った。
血の繋がりがない、けれど確かに私の娘である彼女は、にっこりと笑った。ちょっと泣きそうに笑った。 (了)